たまには弱音もいいですよね…っと
うちの通学分団の班長は、50分出発だけど50分を過ぎてから家を出る。
面倒見はいい子なのだけど、少し照れ屋な子だ…と思う。

並ばせるときも、小さい声で言うものだから
すでに集合時間までに来て、班長が来るまでの時間を持て余して
遊びに移った1年生たちには届いていない。

それでも、手をとって並ばせたりしてくれるので、個人的には
がんばってくれてるなぁと感心もしているのだけれど
集合時間が守れていないことで、時間が押してしまい
結果、小さい子たちが走らされてしまう現状に、やはり親の間で会議が開かれた。


こういうとき、大抵面倒を見てもらわなければならない1年生の親に
意見が求められるわけだけど、どうにも言いにくいことがあったりする。
すでに2ヶ月後には居ないわけで、引っ越すという立場上ね。

ただ、残る子のお母さんに、『引っ越す前までに何とかしてってね』なんて
言われることもあり、確かに居なくなるから…では無責任かななんて思うのと
たかが2ヶ月と言えど、やはり任せなければならないので、息子のことを
考えれば言わざるを得ないけれど…。

こういうとき、悩むことがある。

息子の障害を、どう話せばいいのか。


障害に関していってしまえば、それは個々の家の問題であって…といわれること必至。

確かにね、そこまでの責任を上級生だからといって負わせるのは重いと思う。

ただ、うちの息子は親が付いていなければ駄目なほど
障害がひどいわけでもない。ほぼ健常者と変わらないに等しい。
飲んでいる薬も、あくまでも補助的な目的が強いもので
薬を飲まなければ多少落ち着きはないものの、人の言葉を聞かないほどでもない。


だからこそ、昨日の喧嘩に学校も我が家も驚いたのだ。

言わなくてもいいような範囲のことを、あまり口にしたくないのが本音だ。
息子の障害は、きっと私が言わなければ周りは普通の子だと思う。
その程度に軽い。好きじゃない言葉だけど、『健常者に近いグレーゾーン』だ。

言うことで生まれる偏見なんか、ないほうがいい。
息子がこの先歩んでいく未来に、そんなもの必要ない。

すべての人が偏見を持つわけでは決してないけれど、
『障害』というものは、メディアなどに植えつけられた先入観が伴うことが多い。
ただ、そこからその子の個性特性をきちんと見てくれる人もいれば、
『あの子は障害があるから…』という視点でしか見てくれない人もいるのだ。

息子を小学校へ入れるとき、さんざん嫌な思いをした。
『その障害は、クラスへ迷惑をかける』
『友達関係も築けない』
『言葉も通じないし、聞く耳を持たない』
『クラスを徘徊して、先生の負担になる』

…すべて、昨年度で定年退職した校長が口にしたことだ。
あんたは息子の何を見た、何を知っているんだ!と、声を大にして叫びたかった。

まぁ、その後電話をした保育園の担任の先生が
『教育者としてその偏見はおかしいよね、お母さん!』
と、叫んでくれたわけだけど。


息子は友達と喧嘩をして帰ってきた。怪我を負わせた。
それが何年に1度のことでも、やったことはやったこと。
良くないことは、良くないこと。

だからって、友達関係を築けないわけじゃない。
親からすれば、くだらないなぁと思うような会話でも、いつも友達と笑っている。
天真爛漫で喜怒哀楽は激しいが、人懐っこい子だ。
甘えん坊だけど、お母さんが悲しいときは守ってあげる!と言ってくれる。
体調が悪くて横になっていると、重たい布団をたどたどしい手つきで
一生懸命かけてくれるやさしい子だ。
学校では、授業には積極的で、先生が投げかけたことへの反応も
かなり早く、周りにも積極的に話しかけていると先生から報告があった。
好きなことへの集中力もすさまじいし、その分記憶力もいい。


けれど、障害名を言えば、校長と同じ先入観で息子を見る人も少なくない。
すべての人に理解してもらおうなんて思っていない。
息子を預ける以上、必要な相手には話をしておかなければならないのも覚悟の上。

でも、口にする度、苦しくなるのだ。

息子への先入観や偏見を生んでいるのは、私だと。
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by kiran00 | 2009-05-15 09:45 | 育児関係
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