育児日記…の前振り
私は、息子がまだ生後1ヶ月程度までは育児日記なるものをつけていたけれど
元々面倒臭がりなのと、日記が苦手だったため、程なくして終了した経緯がある。

今はブログなんて書いてるけど、本当にこういうことが続かない性格だったりする。


中学校の頃、強制的に日記を書かなければならなくて(学校に提出していた)
でも、書くことも特にないし…ということで、ほぼ毎日を「何もなかった」だけで済ませていた。

日記なんて言えたもんじゃない。


でも、息子も小学生になった。
幼いなりに、頑張って小学校で友達も作っているようだし
今しか書けないことを、書き綴っていこうと思う。

いつか、過去の記事読んで思い返したりするのかなぁ…なんて思いながら。


きっとね、たわいないことを書くと思う。
それこそ、一行日記になるかもしれない。

でも、きっとそれが思い出になると思うから、今残していこうと思う。


今のことを書く前に、少し振り返ってみよう。
長くなるので、以下隠して独白ってことで。








私は、16歳の時に大学病院の先生から電話で病院へこいと呼び出された。
血液検査の結果が異常値を示していたから だそうだ。
コレステロール値が異様に低い。そのときで96だった。

きっかけは、母の黄疸。
家族に遺伝している可能性があるから、学校の検査結果を見せてほしいと
病院から言われて、高校の健康診断の結果を見せたら呼び出しされた。

本来、過激なダイエットをしても100を切るのは珍しいのだそうで。
その後も検査を続けた結果、半年後には70台まで数値が落ちていた。
正常範囲の値の、最低ラインのさらに半分近くしかなかった。

甲状腺の検査をすることに…。

すると、本来はコレステロール値が下がると、反して上がるはずのものが
コレステロール値と一緒に下がっているということで、先生が首を傾げる。

『…こんなことは…ないはずなんですけどね…』

そう呟いたあと、先生は言った。

『ひょっとすると、今後結婚してお子さんを妊娠しても育たない、
もしくは流産する可能性が高いかもしれません。
仮に生まれても、脳の障害がでるかもしれない…』

それから毎月、血液検査を大学病院で受けることになったわけだけど
その検査のとき、必ず血液を入れる試験管のようなものの1本に
『実験用』と書かれていたのを、今も覚えている。


それから6年後結婚、さらに1年後妊娠。
吐き気から妊娠してる気がすると思って検査にいったら、
『妊娠5日目』で、まだ1週間にもなっていなかった。

それから3ヶ月、延々吐き気と格闘し、つわりが終わるといわれる
4ヶ月に入って、吐き気だけでは済まないほどのつわりに。
その後、妊娠8ヶ月まで食べれない程のつわりは続き、
8ヶ月が経った頃にはお腹が大きくなったことによる胃の圧迫で
やはり気持ち悪さだけが残った。

そして前駆陣痛、陣痛とすすんで、陣痛の間隔が4分になって病院へ。
しかし微弱陣痛のため、生まれたのはそれから40時間経ってからだった。

息子はあまり眠らない子だった。気が付くと目をあいている。
欲求があれば泣いたけれど、ただ起きていることも多かった。
でも、夜中おきて泣くこともあまりなかった。

そして3歳の春。

息子に、脳の障害があることが分かった。


医者には言われてたし、覚悟はしていたけど
言われて、「やっぱり」とは思わなかった。

正直、1年くらいは腐ってた。
ちょくちょく、比較的近い祖母の家に遊びにいっては、
同じく遊びにきていた親と祖母に子供は任せて、
しかしその会話の輪には決して入ろうとしなかった。

親は、私の態度に『オレはお前をそんな風に育ててない』と怒鳴った。


そのとき、親に初めて言った。

16のとき、病院で言われたこと。
子供に、障害が出る可能性があったという話。

脳の先天的な障害は、決して親の責任ではないと
病院でさんざん言われていたものの、納得なんかしていなかった。

親は、そんな話は知らない…と絶句した後、
私が自分を追い込んでいた現状に、声を殺して泣いた。

保育園では、息子は毎日誰かを傷つけて帰ってきた。
その都度、先生はそのことを私に報告し、私は毎日誰かに頭を下げた。

息子は頭を下げて謝る私を見るのがイヤだったのを知ってた。
その内、一緒に謝るようになった。
それでも、毎日誰かを意味もなく傷つけてくる。
この衝動性こそが息子の負った障害だと、その時はまだ理解出来なかった。

半年も過ぎた頃、ついに私が我慢できなくなり、
先生の前できつく叱って泣き出した。
すると、先生が『お母さん、苦しめてごめんね…』と一緒に泣いてくれた。


同じ保育園に通う母友達は言う。
『〇君のお母さんはすごいよね、いつも元気に笑ってるから』
『なんか、泣くイメージがない』

違う違う。それは違う。
私は人前で何があっても笑っていられる術を知っているだけで。

小学校の個人面談で、校長に息子のことを
『こういう障害の子は、友達関係もダメで言葉も話せないし通じない、
教室の中でも徘徊し、先生の負担になる』
と言われて、はらわた煮えくり返っていても、
帰り友人と会った時には『バイバーイ』と笑っていたため、
後日その友人に、
『面談うまくいってうらやましいな~』なんて思われていたりした。


今は、子供のことに対する不安を口に出来るようになったけれど
それは子供の障害と向き合う覚悟が出来たからだ。

5歳の春、息子は衝動性や多動を抑えるための薬を飲み始めた。
それと同時に、成長に伴い息子は自分を少しずつコントロールする術を
学びはじめている。
薬がなくても、衝動性は自分でコントロールし、多動もあまり見られなくなったが
周りからの刺激に敏感なので、今尚薬は補助的に続けている。

病院の先生曰く、
『多分、成長とともにほぼ他の子と変わらないまでに成長しますよ。
この子は元来明るくて素直で人懐っこい子ですからね』

だといいけどね。



そんな息子が、1年生になった。
友達に牙を向くことは、もうほぼない。

むしろ、ヒーローごっこでエスカレートする殴り合いでも、
息子は絶対他の子に対して手をあげなくなった。

自分が他の子より力が強く、一緒になってやってしまうと
危害を加えてしまうことを既に知っているようだ。

まぁ、年少・年中とやんちゃやってきたもんね(´ー`)
その中で、きっと本人も色々学んできたんだと思う。

過去に、息子が泣いた理由にこんなことがある。
『お母さんが謝ると、〇が悲しい』

他の子のお母さん達が、戦いごっこをみて
『〇君やり返していいよぉ。うちの子がむかつくんだけど!』
なーんて、『やめなさあああああああああい!!!』と怒鳴っている。

息子が他の子を傷つけて帰ってくるたびに、
いつか友達が居なくなる…という危機感を抱いてきて、
それがきっかけで人との関わりをなるべく避けてきたこともあったけど
今はそれももうなくなった。

大きくなったなぁ、わが息子。



そして、そんな息子は今、セブンイレブンで貰った非売品の
母の日チョコレート(ガー〇)を、口の周りにべったりつけながら食べている。
持っていた場所が、完全に溶けきっていることに焦りながら。

息子の今日の一言

『お母さん!カガが居る!!』


カガって誰だよ('Д')
そんな人家に招いた覚えはないよ('Д')

…そろそろ、カガではなく蚊だということを覚えて欲しい。
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by kiran00 | 2009-04-08 20:44 | その他管理人の趣味
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